10号 朝の城                                                                                       10P 水辺の城
西村 龍介   




1920年 大正9年  2月8日 父彌右衛門・母ヨシの四男として山口県山口市大内長野に生まれる。本名は一男。
1926年 大正15年昭和元年 6歳  4月 小野田尋常小学校に入学。3年生の時初めて水彩画を描き先生に褒められる。
 以後絵が大好きになり、全国児童画展などに水彩画を出品、常に受賞する。この頃から画家になることを意識する。
1934年 昭和9年 14歳  この年、両親と死別する。
1935年 昭和10年 15歳  3月 山口市大殿尋常高等小学校を卒業する。
1936年 昭和11年 16歳  このころ、初めて上京する。
1938年 昭和13年 18歳  4月 日本美術学校日本画科に入学、太田聴雨・川崎小虎・矢沢弦月に学ぶ。デッサンの指導を林武に受け「君の木炭には色がある」とほめられる。
1941年 昭和16年 21歳  3月 日本美術学校日本画科卒業、《T子の像》を卒業制作し、川崎小虎から最高得点の評点をうける。卒業と同時に出征する。
1945年 昭和20年 25歳  8月 特攻隊員として沖縄作戦に加わるため朝鮮から東京・福生飛行場に到着するが、15日終戦となり、
 28日山口市に復員する。この年3月の東京大空襲により戸塚の下宿も被災し、置いてあった作品が焼失する。
1946年 昭和21年 26歳  山口市の古刹・瑠璃光寺の一室を画室として済み、方丈・木村智道師に禅を学ぶ。
 このころ山口高等学校(旧制)校長長崎太郎の知遇を得る。
1947年 昭和22年 27歳  夏 初めての個展を山口市・八木百貨店で開催、日本画18点を出品する。このころ山口市展・山口県展を三好正直・田坂柏雲と創立する。
1949年 昭和24年 29歳  9月 京都市立芸術専門学校長に長崎太郎就任、招かれて京都に移り、京都市立美術大学日本画部研究科に入学する。
1950年 昭和25年 30歳  京都市立美術大学研究科をやむをえず中途退学する。学長の許しを得て、上京する。
1951年 昭和26年 31歳  この年、油絵に転じ、雅号を龍介と改名する
1953年 昭和28年 33歳  春 東京都北多摩郡小金井町(現在の小金井市貫井南町4丁目4番10号)に転居する。5月下田敦子と結婚する。
1954年 昭和29年 34歳  9月 第39回二科展(東京都美術館)に《河岸》を出品、初入選する。
1955年 昭和30年 35歳  1月 長男健生 生れる。
1956年 昭和31年 36歳  第41回二科展に《月のある風景》《鳥と植物》を出品、特待賞受賞
1957年 昭和32年 37歳  9月 第42回二科展に《水辺》《繋がれた庭》を出品、二科会会友となる。
1958年 昭和33年 38歳  9月 第43回二科展に《石》《園》を出品。
1959年 昭和34年 39歳  2月 サロン・ド・コンパレーゾン展(パリ・国立近代美術館)に《故園》を招待出品 3月 次男紀生 生れる。 
 9月 第44回二科展に《故園》《花》を出品、二科金賞を受賞。
1960年 昭和35年 40歳  9月 第45回記念二科展に《白丹》《鳥》を出品、二科会会員となる
1961年 昭和36年 41歳  9月 第46回二科展に《古園》等2点を出品。
1962年 昭和37年 42歳  9月 第47回二科展に《月のある風景(H)》《月のある風景(K)》を出品。
1963年 昭和38年 43歳  9月 第48回二科展に《風景(B)》《風景(A)》を出品、二科会会員努力賞受賞。
1964年 昭和39年 44歳  2月 渡欧。パリに滞在し、その間フランス、スペイン、イタリア、ベルギーを旅行する。7月帰国する。 
 9月 第49回二科展に《火山(B)》《火山(A)》を出品。
1965年 昭和40年 45歳  6月 二科会50周年記念回顧展(新宿ステーションビル)に《白丹》(1960年)が出品される。 
 9月 第50回記念二科展に《静A》《静B》を出品。
1966年 昭和41年 46歳  9月 第51回二科展に《古城》《花と古城》を出品、二科会評議員となる。
1967年 昭和42年 47歳  6月 フランス=サロン・ドートンヌ展に《風景》を招待出品 
 9月 第52回二科展に《聖堂》《館》を出品。
1968年 昭和43年 48歳  9月 第53回二科展に《古城》《館》を出品、二科会青児賞を受賞。
1969年 昭和44年 49歳  4月 二科会デンマーク展(コペンハーゲン・クンストフォールニンゲンハウス)に出品。 
 9月 第54回二科展に《聖堂》《遥かなる聖堂》を出品、二科会会員努力賞を受賞。
1970年 昭和45年 50歳  2月 渡仏。パリに滞在してフランスの田舎を旅行する。5月帰国する。 
 9月 第55回二科展に《歴史のある館》《朝の城》を出品。この年 フランス=サロン・ドートンヌ展に《鳥と花》を招待出品。
1971年 昭和46年 51歳  3月 西村龍介個展(八重洲美術店主催)を銀座・松屋で開催、新作23点を出品する。 
 5月 二科会ポルトガル展(リスボン・フオズ宮殿)に《鳥と花》を出品。 
 9月 第56回二科展に《幻影古城》《城》を出品、内閣総理大臣賞を受賞。 
 この年三たび渡欧。デンマーク、フランス、ポルトガル、モロッコ、イタリアを旅行し、ユーゴスラビア、アドリア海を巡遊する。
 サロン・ドートンヌ会員に推挙されるが辞退する。
1972年 昭和47年 52歳  春 渡欧。フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイス、イタリアを旅行し夏帰国する。 
 4月 第21回五都展(新橋・美術倶楽部)に《朝の城》を出品以後1985年迄出品する。 
 9月 第57回二科展に《城影》を出品、二科会委員となる。
1973年 昭和48年 53歳  9月 第58回二科展に《アベロンの里》を出品。 
 11月 西村龍介個展を銀座・フジヰ画廊で開催《カステル・デル・オポ(ナポリ)》等大作15点を出品する。 
 この年 春・冬渡仏。アルザス、ノルマンディ、ブルターニュ、ロワールなどフランス各地を旅行する。
1974年 昭和49年 54歳  2月 渡欧。イタリア、フランスを旅行し、フランスのアベロン地方に三週間ほど滞在する。6月帰国する。 
 9月 第59回二科展に《雪の僧院》を出品。
1975年 昭和50年 55歳  2月 渡仏。フランスの田舎を旅行し、5月帰国する。 
 9月 第60回二科展に《湖上の朝》を出品、二科会委員長に就任する。
1976年 昭和51年 56歳  9月 第61回二科展に《朝の館》を出品 
 11月 西村龍介個展を銀座・フジヰ画廊で開催《エスクリモン》など120号から30号までの作品16点と初めて《裸婦》小品5点を出品する。 
 この年 春・冬渡欧。パリ、南フランス、北イタリア、ヴェネツィア、シャモニー、スイスを旅行する。
1977年 昭和52年 57歳  6月 第14回太陽展(銀座・日動画廊)に《水辺の城》を出品、以後日動展とともに毎年出品。 
 9月 第62回二科展に《湖上の館》を出品、二科会委員長を辞任する。 
 秋 渡欧フランス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、ポーランド、チェコスロバキア、ベルギー、ヴェネツィアを巡遊する。
1978年 昭和53年 58歳  春 渡欧。ヴェネツィアとフランス・ノルマンディ地方にて過ごす。 
 4月 銀座二科春季展(東京セントラル美術館)に《水辺の城》を出品。 
 8月 フジテレビ番組「テレビ美術館」<西村龍介 夢の世界・心の風景>が放映される。 
 9月 第63回二科展に《静日》を出品。 
 12月 第10回潮音会(銀座・フジヰ画廊)に《静日》を出品。
 安田火災美術財団理事に就任。
1979年 昭和54年 59歳  2月 渡欧。フランス・アベロン地方にて2週間過ごす。パリに戻りノルマンディ地方、ヴェネツィアを旅行、5月帰国する。 
 4月 銀座二科春季展に《水辺の城》を出品。 
 5月 「西村龍介銅版画集’79」がフジ美術から刊行される。 
 9月 第64回二科展に《白い城》を出品、NHKテレビ番組「婦人百科」<油彩・花を描く>に出演、4週にわたり放映される。 
 11月「西村龍介画集<1941-1979」が講談社から刊行される。
1980年 昭和55年 60歳  第1回雲の会油絵展に《水辺の城》を出品、以後出品を重ねる。 西村龍介個展を銀座・フジヰ画廊で開催、新作21点を出品。
1983年 昭和58年 63歳  読売新聞社主催「森と城と水の詩情の世界 西村龍介展」が銀座・松屋などで開催、1968年〜1982年の二科展作品63点を出品。 
 西村龍介デッサン展が銀座・松屋などで開催。 西村龍介新作展が大阪・大丸心斎橋店などで開催、16点を出品。
1986年 昭和61年 66歳  第1回現代作家美術展に《緑風》を出品、以後出品を重ねる。
1987年 昭和62年 67歳  衆議院議員勤続25年を記念する安倍晋太郎外務大臣(当時)の肖像画を制作、完成。
1988年 昭和63年 68歳  西村龍介個展「水の抒情詩」が銀座・フジヰ画廊モダーンで開催。
1989年 平成元年 69歳  昭和63年度(第39回)芸術選奨文部大臣賞受賞。 
 前年の個展に対して「フランスの古城を主な題材として、日本画と洋画の技法を巧みに融合した日本的詩情豊かな独自の油彩表現を円熟に域に高め、
 長年にわたる精進の成果を顕著に示した」として授与されたもの。
1990年 平成2年 70歳  西村龍介個展「水の抒情詩U・みなと」が銀座・フジヰ画廊モダーンで開催10点を出品。 日本文化振興会より国際芸術文化賞を授与される。
1993年 平成5年 73歳  皇太子御成婚祝に学習院が献上する作品を依頼され、6月渡欧 ロンドン、オックスフォードを主として取材し「オックスフォード眺望」30号を制作する。
1994年 平成6年 74歳  学習院より学習院功労章を授与される
1997年 平成9年 77歳  朝日新聞社主催「喜寿記念・西村龍介展」が東京八重洲・大丸ミュージアムTOKYOなどで開催。翌2月まで、大阪心斎橋大丸・下関大丸を巡回する。
2002年 平成14年 82歳  「悠久の静寂・西村龍介展」がフジヰ画廊で開催。
2003年 平成15年 83歳  「静寂の時空 西村龍介展」がそごう千葉店・そごう神戸店・翌年そごう広島店で開催。
2005年 平成17年 85歳  2月21日午後6時38分、急性心筋梗塞のため長野県軽井沢市の病院で死去した。享年85。  

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