坂本 繁二郎

1882年 明治15年 3月2日福岡県久留米の京町に旧有馬藩士坂本金三郎、歌子の次男として
生まれる。代々馬廻役として有馬藩に仕え、知行は百五十石であった。
1891年 明治24年 9才 4月、久留米男子高等小学校に入学。青木繁はこの学校の同級生である。
1892年 明治25年 10才 久留米日吉町に住む森三美を紹介され、油絵の手ほどきを受ける。
1901年 明治34年 19才 4月、森三美の尽力によって久留米男子高等小学校の代用教員となり、
翌年7月まで図画を担当する。
1902年 明治35年 20才 青木繁とともに上京、本郷区駒込追分町に下宿する。
小山正太郎の画塾不同舎に入門する。
1904年 明治37年 22才 太平洋画会研究所に学ぶ。
1908年 明治41年 26才 「東京パック」(北沢楽天主宰)の発行所、東京パック社の就職し、
先に入社していた石井鶴三と机を並べて、3年ほど同誌に
当時のいわゆる「ポンチ絵」を描く。山本鼎の世話であった。
1910年 明治43年 28才 いとこの権藤薫と結婚する。
1913年 大正2年 31才 長女栞が生れる。
1914年 大正3年 32才 二科会創立。
1919年 大正8年 37才 次女幽子が生れる。
1921年 大正10年 39才 渡欧。パリのモンパルナス付近に住み、アカデミーコラロッシに入学し、
シャルル・ゲランの教えを受ける。
1923年 大正12年 41才 第16回サロン・ドートンヌ日本展
1924年 大正13年 42才 帰国。久留米市に住む。
1925年 大正14年 43才 第12回二科展に滞欧作を特別出品。帰国後初めて上京する。
1931年 昭和6年 49才 福岡県八女郡三河村緒玉にアトリエが完成。
1932年 昭和7年 50才 第19回二科展
1937年 昭和12年 55才 第24回二科展
1947年 昭和22年 65才 帝国芸術院会員の推挙を辞退する。
8月、孫暁彦が生れる。
1953年 昭和28年 71才 第2回日本国際美術展に「水より上がる馬」を出品。
1954年 昭和29年 72才 「水より上がる馬」(第2回日本国際美術展)に対して、
第5回毎日美術賞を贈られる。
1956年 昭和31年 74才 11月3日文化勲章を授与される。薫夫人と13年ぶりに上京する。
1964年 昭和39年 82才 日本近代十大画家展に「達磨」を出品。
1969年 昭和44年 87才 7月14日老衰にため八女市の自宅で死去する。
「帽子をもてる女」 石橋美術館蔵
「放牧三馬」 石橋美術館蔵
「水より上る馬」東京国立近代美術館蔵

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